第2回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➁(バビィの新・「プロ論」)

第2回. [序章] ~ 麻雀「プロ」の創生、共生、新生 ~➀(バビィの新・「プロ論」)

[更新日:2016/04/03(全文掲載)、公開日:2016/03/03]

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月刊「麻雀界」で好評連載中のバビィの新・「プロ論」。以下、「2016年3月1日発売号」の連載内容を特別に掲載させて頂いています。(太字・色づけ等は当サイトにて付与)

▼▼▼ ここから馬場プロの連載より ▼▼▼

今月(2月)の頭、本稿の取材を兼ねて、とある業界関係者との会食いたしました。

その席で、思いも寄らない「訃報」を聞かされたのです。

古川凱章氏の永眠――

現在の麻雀プロ業界の礎を築いた偉大なる先駆者の逝去に、僕は言葉を失いました。

謹んで心より哀悼の意を表します。

野口恭一郎氏との出会い

前回の続きです。

高校生のとき、初めて訪れた竹書房。

その日に僕は社長である野口恭一郎氏の部屋に通されました。

詰襟(つめえり)学制服姿の高校生が近代麻雀を買い求めてきたことに興味を持ったのでしょう。

主に麻雀に関してあれこれ質問されたことを覚えています。

ただ、当時の僕は受け答えすら満足にできませんでした。

それでも野口氏からは優しく接していただき、学業がいかに大事かを説かれ、麻雀に関係ない書籍やグッズをお土産として渡されました。

「学校が休みのときは遊びに来なさい」

その野口氏の言葉に甘え、夏休みだったか冬休みだったか忘れてしまいましたが、僕は頻頻(ひんぴん)に近代麻雀の編集部にお邪魔するようになったのです。

編集長の岡田和裕氏を始め、編集者や営業の方々には本当に可愛がってもらいました。

僕自身、近代麻雀への愛着というよりは、雑紙を作る現場の空気に高揚して編集部に入り浸っていた気がします。

ある頃から、僕は小さな作業を手伝うようになりました。

ハガキの整理とか宛名書きとか、そういった雑務です。

これが僕の人生初バイトでした。

当時、竹書房は二つの麻雀専門誌を発行していました。

近代麻雀」と「麻雀研究」です。

通称ジャンケンと呼ばれた麻雀研究には、近代麻雀にはない企画やコラム、劇画などが掲載され、こう言っては怒られてしまうかもしれませんが、洗練された近代麻雀という感じでした。

麻雀ならではの仕事

そのジャンケンのHさんという編集者から、バイト中突然尋ねられたのです。

「ババくん、牌譜採れるかな」

パイフ? パイフて何だ?

聞けば麻雀対局の記録のこと。

その日予定していた採譜者が急病か何かでドタキャンとなり、代わりの者を探しているとの話。

「僕にやらせてください!」

「でもキミは採ったことないんだろ?」

「採り方を教えてください!」

Hさんはちょっと困った顔をしましたが、僕の熱心さに根負けしたか、あるいは他の者を探す手間を惜しんだか、その場で牌譜のレクチャーをしてくれました。

1時間程度の即興講習。

しかし麻雀にハマっていた僕にとっては興奮の1時間だったのです。

そして車に乗せられ、いざ現場へ――

それは高名なイラストレーターがホストを務める誌上対局でした。

たった半荘一回の対局。

僕は一摸一打を凝視し、無我夢中で牌譜を採りました。

集中し過ぎたのか、対局が終わった直後、放心状態になった記憶があります。

「ご苦労さま」

一石二鳥の結果に

ボーッとしていた僕に、Hさんが封筒を差し出してきました。

「何ですか、これ?」

「採譜料、ようするにギャラだよ」

ああ、そうなんだ、別にもらえるんだ。

雑務バイトの延長上の仕事と思っていた僕は、不思議な気持ちで封筒を受け取りました。

そして中を見て唖然。

五千円札が入っていたのです。

当時の学生バイトの時給が三百円前後。

1日働いて二千円~二千五百円の時代。

それが半荘一回(およそ一時間)の牌譜を採るだけで五千円、現在の感覚だと二万円ぐらいですか、そんな高額なギャラをいただいたのですから、高校生の僕が唖然とするのも無理はありません。

今思えば、それだけ採譜者の数が少なかったのでしょう。

麻雀メディアが草創期であったことの証しとも言えます。

僕にとっては、麻雀の生対局が観れて、その記録を採らせてもらい、さらにギャラもいただけるという、これ以上はない素敵で至福なバイトでした。

バビィの新・「プロ論」

そして〝競技麻雀〟へ

そして「高校生採譜者」は、近代麻雀や麻雀研究はもとより、他の雑誌や新聞等の対局に駆り出されていくことになるのです。あの頃の採譜者は大学生が中心でした。現場で何度も会っているうちに、自然に顔見知りになっていきました。

彼らの多くが「麻雀プロ」志望者だったのです。当時の僕は「麻雀プロ」へのイメージは希薄だったのですが、彼らが熱く語る麻雀論や麻雀 業界の未来予想図に耳を傾けているうちに、次第に感化されていきました。その「彼ら」こそ、現在の麻雀プロ業界の重鎮たちです。

彼らにサジェスチョンを受けたり、誘われたりして、僕は麻雀大会や麻雀の研究会(サークル)に足を運ぶようになりました。

いわゆる「競技麻雀」の入口に立ったのです。

[ 野口 恭一郎(のぐち きょういちろう)] 1972年、竹書房を設立。代表取締役社長。1988年、会長に就任。1999年、麻雀博物館設立。

麻雀専門誌である「月刊近代麻雀」を発刊し、麻雀界に新風を巻き起こした。後に漫画、コミック専門誌、文庫本、各種雑誌等の刊行にも力を入れて行き、「麻雀戯画」を柱とした出版社としての基盤を築き上げていった。

1999年には千葉県夷隅郡岬町(現・いすみ市)に世界初の麻雀博物館の開設に尽力。各地の貴重な麻雀牌や関係書籍等を収集し、多くの歴史的資料が保存された。  2010年10月7日、直腸がんのため東京都新宿区の病院で死去。76歳没。

(つづく)

▲▲▲ ここまで馬場プロの連載より ▲▲▲

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▼ 上記は、月刊「麻雀界」2016年3月1日発売号に掲載された内容です。

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